話がうまい人より、話を聞いてくれる人の方がずっとありがたがられる

タイトルに書いてある通りのことですが、この事実に気が付くまで時間がかかりました。

私は昔から話をするのが得意ではありません。学生時代も教室の隅でぼそぼそしゃべっているような、いわゆる陰キャでした。みんなの前で気の利いたことを言えるタイプでもなく、会話の中心にいることはほとんどなかったと思います。

そんな私が社会人になって就いたのは、意外にも営業職(最初の3年くらいは全員営業をする会社です)でした。ただ、話がうまくなったかというと、そんなことは全くありません。今振り返っても、押しの弱い営業マンだったと思います。それでも営業成績は決して悪くなく、むしろその押しの弱さを気に入ってもらえる場面もあり、それなりにうまくやれていました。

社会人2年目のとき、初めて後輩ができました。その後輩は私と正反対で、いかにも体育会系の営業マンといったタイプでした。声も大きく、ロープレでも自信満々に話す。ただ、なぜか売れない。
ロープレの様子をよく見ていると、その理由が少し分かってきました。一方的にペラペラと話し続けていて、相手が話す余地がほとんどなかったのです。

そのとき、なるほどと思いました。
自分が上手に話すことではなく、相手に気持ちよく話してもらうことこそが、「コミュニケーション能力が高い」ということなのだ。

今の部署に来てからは、仕事や人間関係について、いろいろな相談を受けるようになりました。ただ、私はいつも解決策や具体的なアドバイスを提示しているわけではありません。正直に言えば、思い浮かんでいないことの方が多いです。
それでも、話し終わる頃には、どこかスッキリした表情で「話せてよかったです」と言ってくれる人が少なくありません。

おそらく多くの場合、相談に来た時点で、その人の中にはすでに結論があるのだと思います。ただ、それを誰かに遮られずに聞いてもらい、自分の言葉として外に出すことで、ようやく納得できる。そんなニーズがあるのかもしれません。

ここまでの経験をまとめると、こう言える気がします。
人は「面白い話」や「役に立つ話」を求めているようで、実際には「安心して話せる場」を求めているのではないか、ということです。話がうまい人は情報や刺激を提供しますが、話を聞いてくれる人は「自分がここにいていい」という承認を提供します。そして、この後者はおそらく代替がききません。

少し生物学的な話をすると、人が話すとき、脳内では思考の整理と自己確認が同時に行われると言われています。きちんと聞いてもらえると、「自分は受け入れられている」という信号が脳に送られ、その体験は感情や記憶に深く残りやすくなります。振り返ってみると、誰に何を言われたかより、「誰が聞いてくれたか」を覚えている場面は、誰にでもあるのではないでしょうか。

一方で、話がうまい人ほど評価されやすく、話を聞ける人ほど目立たない、という現実もあります。しかし、人が本当に困ったときや、人生が行き詰まりかけたときに求めるのは、正解を教えてくれる人ではなく、途中で遮らずに話を聞いてくれる人です。

ここで誤解してほしくないのは、「聞く」というのは、ただ黙っていることではないという点です。相槌を打つ、要点をそっと言い換える、感情を言葉にして返す。そうした小さな働きかけによって、相手は安心して思考を前に進めることができます。聞くことは、何もしないことではなく、とても静かな能動性なのだと思います。

最後に、これはあくまで私の仮説ですが、自分の話ばかりをしてしまう人は、実はあまり自分に自信がないのではないかと思っています。沈黙が怖い、知らないことを突っ込まれるのが怖い。だから話し続けて、相手にしゃべらせる隙を与えない。そう考えると、多弁さも一つの防衛反応に見えてきます。

話すのが得意でなかった自分が、結果的に「聞く側」に回り続けてきたことは、遠回りだったようで、無駄ではなかったのかもしれません。もし、話がうまくない、と悩んでいる人がいたら、ぜひ「聞く人」になって自信をもってもらいたいです。

追記:このエピソードから、コーチングという存在を知りました。コーチングの基本はまさに傾聴!その後、ビジネスコーチという会社が上場したため、ポートフォリオに加えております。

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