「今月も貯金できなかった」そう感じたとき、多くの人は自分の意志が弱いせいだと思う。しかしそれはちょっと違う。
人間のお金の失敗のほとんどは、脳の構造上の問題だ。行動経済学という学問が、その仕組みを明らかにしている。つまり「知っているか知らないか」の差であり、正しい仕組みを作れば誰でも解決できる。
株式投資を実践しながら感じていることがある。お金で失敗する人の多くは、意志が弱いのではなく、人間の本能に逆らう戦い方をしているだけだ。
落とし穴① 現在バイアス:「将来の自分」は他人に見える
人間の脳は、将来の自分を「別人」のように認識する傾向がある。
「老後のために貯金しよう」と頭ではわかっている。しかし30年後の自分は、今の自分とは別人のようにリアルに感じられない。だから今日の飲み会、今欲しいガジェット、今行きたい旅行を優先してしまう。これが「現在バイアス」だ。
これは意志の問題ではなく、人間の本能に近い。狩猟採集時代、目の前の食べ物を優先しなければ生き残れなかった。その本能が現代でも機能しているだけだ。
解決策:「自動化」で意志を使わない
先取り貯金とNISAの自動積立は、このバイアスへの最強の対策だ。給料が入ったら使う前に自動的に別口座に移す設定をする。NISAも毎月自動で積み立てる設定をする。一度設定してしまえば、意志を使わずに済む。
人間の意志はガソリンと同じで、使えば減る。使わなくていい場面では使わないことが重要だ。
落とし穴② 損失回避バイアス:損の痛みは得の喜びの2倍
「1万円を得る喜び」より「1万円を失う痛み」の方を、人間は約2倍大きく感じる。これが「損失回避バイアス」だ。
投資を始められない人の多くは、このバイアスに捕らわれている。「投資で損したらどうしよう」という恐怖が、「増えるかもしれない」という期待を上回ってしまう。
しかし考えてほしい。インフレが続く時代に、銀行口座にお金を眠らせることも「実質的な損失」だ。物価が2%上がれば、100万円の購買力は翌年98万円分になる。何もしないこともリスクなのだ。
解決策:「しない損失」を可視化する
投資しなかった場合のコストを計算してみる。月3万円を30年間積み立てた場合、年利5%で運用すると約2500万円になる。一方、タンス預金なら1080万円だ。その差額約1400万円が「何もしないコスト」だ。
損失回避バイアスは「損をしたくない」という感情から来る。しかし「何もしないことの損失」を数字で見せると、行動に移りやすくなる。
落とし穴③ サンクコスト効果:過去のお金に引きずられる
「もうこれだけ払ったから」という理由で、損な選択を続けてしまうことを「サンクコスト効果」という。
使っていないジムの会費を払い続ける。下がった株を「元値に戻るまで」持ち続ける。途中でやめたらもったいない気がする保険を解約できない。これらはすべてサンクコスト効果の典型だ。
過去に払ったお金は、どう頑張っても取り戻せない。判断は常に「これからどうなるか」だけを基準にすべきだ。しかしこれが感情的に難しい。
解決策:「ゼロベース思考」で判断する
「もしこれが今日から新しく始めるとしたら、やるか?」と問い直す習慣をつける。
ジムの例なら「今から月5000円払って入会するか?」と考える。答えがNoなら、解約が正解だ。投資の例なら「この株を今日初めて買うか?」と考える。答えがNoなら、持ち続ける理由はない。
過去の出費は「授業料」として割り切り、未来の判断だけに集中する。
落とし穴④ アンカリング:最初の数字に引っ張られる
「定価10万円が今だけ5万円!」という表示を見て、お得な買い物をした気になる。しかしその商品が本当に5万円の価値があるかどうかは別の話だ。
最初に見せられた数字(アンカー)が判断の基準になってしまうことを「アンカリング」という。セールや値引きに弱い心理の正体はこれだ。
社会人になって収入が増えると、このバイアスにはまりやすくなる。「自分へのご褒美」という言葉が、アンカリングによる不要な出費を正当化するために使われることも多い。
解決策:「絶対額」で判断する
割引率ではなく、実際に払う金額で判断する習慣をつける。「50%オフで5万円」ではなく「5万円を払う価値があるか」を考える。
もう一つ効果的なのが「24時間ルール」だ。衝動的に欲しいと思ったものは、24時間待ってから買うかどうか決める。翌日になっても欲しければ本当に必要なもの、忘れていたなら不要なものだ。
落とし穴⑤ ヒューリスティック:なんとなくの判断に騙される
人間の脳は、複雑な判断を省エネするために「なんとなく」の判断を使う。これを「ヒューリスティック」という。
「みんなが買っているから良いはずだ」(同調バイアス)、「有名な会社だから安心だ」(権威バイアス)、「最近よくCMで見るから良い商品に違いない」(利用可能性ヒューリスティック)。
投資の世界でこれが危険な形で現れるのが「話題の銘柄への飛びつき買い」だ。みんなが買っているから、SNSで話題だから、という理由だけで投資するのは、このバイアスに乗っかっているに過ぎない。
解決策:「自分の基準」を先に作る
投資であれば、自分なりの購入基準(PBRが何倍以下、自己資本比率が何%以上など)を事前に決めておく。基準に合わない銘柄は、どれだけ話題でも買わない。
お金全般においても「自分はこれにはお金を使う、これには使わない」というルールを先に決めておくことで、その場の感情に流されにくくなる。
お金の失敗は意志の弱さではない。人間の脳の仕組みに逆らった戦い方をしているだけだ。
行動経済学が教えてくれることは、「人間はこういう間違いをする」という事実だ。そしてその間違いには、決まったパターンがある。パターンを知り、仕組みで対策すれば、意志に頼らなくてもお金は管理できる。
社会人1年目の今、この仕組みを作っておくことが、10年後20年後の資産の差になる。
筆者:30代・証券アナリスト。銀行員→シンクタンク研究員。日本中小型株を中心に中長期投資を実践中。


