AIによる業務効率化と、労働者が報われにくい構造について

AIの活用が進む中で、業務効率が大きく向上している現場は少なくないと思います。一方で、その効率化が労働者自身の時間や報酬の改善につながっているかというと、必ずしもそうではないように感じます。

資本主義の下では、生産性の向上が自動的に賃金や労働時間の短縮に結び付くわけではありません。効率化によって生まれた余力は、「空いた時間」ではなく「追加の業務を割り当てられる余地」として解釈されやすい構造があります。その結果、効率化できたことを正直に開示すれば、まず仕事が増えるという状況が生まれます。

仮に、労働者全員が業務効率化の成果を正直に申告した場合、短期的に最も恩恵を受けるのは企業、ひいては投資家でしょう。同じ人件費でより多くの成果が出れば、利益率は改善し、株主価値は向上します。一方で、労働者側の賃金や評価は遅行しやすく、すぐには変わりません。この配分ルールの非対称性が、効率化を「黙って行う」行動を合理的なものにしています。

私自身、AIを業務に取り入れたことで、処理にかかる時間が大幅に短縮されました。5年ほど前は、繁忙期には月30時間前後の残業が当たり前でしたが、今年度は繁忙期でも月数時間程度に収まっています。成果や求められる水準は変わっていないにもかかわらず、です。業務量が減ったのではなく、処理速度だけが上がった結果だと考えています。

このような効率化は、企業全体の投資というより、個人の工夫や試行錯誤によって実現されている場合も多いでしょう。それでも、その成果は個人に帰属せず、組織の「当たり前の水準」として吸収されていきます。AIの普及は、労働者という立場を揺さぶりつつも、その変化を見えにくくしているように思えます。

AIの効果自体は今後も積み上がっていくはずです。ただ、効率化しても生活が楽にならない、時間が増えない、報われた実感がない状態が続けば、熱狂は次第に冷めていくでしょう。もしAIブームが失速するとすれば、原因は案外技術の限界ではなく、労働と資本の配分ルールが追いついていない点にあるのではないかと考えています。

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